Try for you

木村栄昌

冬の時代を笑いで乗切るために<短編物語>読むだけで税や会計の生きた知識が不思議に身に付く

<短編物語>第10話 いとをかし・・M&A その10(最終回)

<最終回>

シーン10 正井事務所の近所の喫茶店

  平行線のそれぞれの思い

       その後、正井の紹介した宅建業者によって伏見の単野邸は売却され、その資金を使ってシンプル興産(株)の銀行借入金はキレイに返済された。連帯保証もなくなり単野は自由の身になった。

      残るは会社の解散決議を行い、官報公告を経て清算結了申告に向かう手続きを司法書士に依頼するだけである。登記手続は正井事務所が平素から依頼している司法書士事務所がしてくれる。

               そんな或る日、少し残った会社の預金から単野の役員退職金を支払う手続きのため単野が正井の事務所にやってきた。支払われた役員退職金は単野の最終月額報酬に在職年数を乗じた金額であった。会社の業績が良い状態での退職なら功績倍率を乗じるところであるが、実際の資金在り高は功績倍率を乗じた金額には遠く及ばないため、単野の就任期間の長さに比べて、そう高くない金額に落ち着いた。

              金銭的な項目が一通り終わって二人は近所の喫茶店に行き、コーヒーを注文して気分直しをした。

                単野は言う「主任と副主任の二人、これからちゃんとやって行けるでしょうか。会社をバラけさせないで二人協力してやって行けたら私も後を彼らに託せたと気が落ち着くんですが、、」

                まだ会社というものに単野は未練があるように見える。

               正井は言う「前にもテキ屋さんの世界の話をしましたね。アノ世界は株式会社などが制度としてこの世になかったころから続いています。何故かわかりますか。」

             「、、、いいえ。」

             正井は続ける「人間はいつか時期が来たら仕事を離れる時が来ます。亡くなることも含めて。しかし事業は方法次第で続きます。アノ世界は次世代の一番元気のある者に継いで行かせる世界です。世襲とか血筋とかではなく力量のあるものが後を取ってゆくのです。事業を主体にして適材の人に商売の筋が繋がる仕組みです。縦ではなく横に広がるのです。シニセが血筋にこだわって一本の筋に繋ぐのより私は合理的と思っています。無理して商売が嫌いな息子に跡継ぎさせたり、養子取ったりしてもぎくしゃくが残ります。この仕事してたらそんな例いっぱい見てきました。」

       単野は黙って聞いている。
「だから社長さん、ああもう社長さんではないのですね、単野さん、これで良かったんです。商売の息の根が止まったんではないですから。戦後になってから、どこもかしこも株式会社や有限会社にしました。細い通りを100mも歩いたらその間に「株式会社」7~8軒通り過ぎます。会社の形取ってるだけです。他人から資本を集める本当の意味の会社ではありません。いずれ立ち行かなくなります。ドンドンそのような「会社」は無くなってゆきます。大きな変化が目の前に来ているのです。これまで通り緩い融資していたら銀行が成立たんようになります。

              単野は正井の言うことを理解できないようであった。それだけではない。自宅を手放して銀行借入返さなければならない事態になった原因が自分にあることも自覚していないようであった。正井が何回も何回も会社の試算表、経営分析図面、決算書草案を前に利益第一、借金することは最小限に、と説明し、こんなことでは行き詰まりますョと何回諭したことか。でも銀行依存の性向は改まらなかった。

     あまりにも聞く耳を持たないので「それなら銀行と心中したらよろし、そんなに会計事務所の言うことが聞けませんか!と声を大きくした時もあった。」それに対する単野の答えは「そやけど、銀行の建物の方が会計事務所より大きいですから、、そっちのハナシに乗ります、、」

     それ以降、正井は理解しようとしない顧客は切り離してきた。断り、切り離すために高い請求を出したが、単野は遅れながらも支払いを続けた。裏の意味が分からないようであった。というか、無形のサービスが理解できないのかもしれなかった。

     令和8年5月から「企業価値担保権」が創設され、技術や特許、顧客網、ブランド、蓄積データなどが企業価値として評価される時代に入ってきた。企業を経営する視野の広さが求められる時代である。

             「ほな先生わたしここらで失礼させてもらいますヮ。コーヒーおおきにでした。それと先生ところの請求は、安うしてくださいね。お願いしますヮ。」

                正井は返事しないで暫く黙っていた。そして腹に力を込めて低い声で伝えた。「ウチの費用が高いのはよくご存じでしょう。請求書送ります。」

             どれだけの時間を使い、頭を働かせ、長年の経験から最適解を選択してきたか、、正井は自分が反応のない暗闇に遠吠えする犬のような気がした。             <終 了>