冬の時代を笑いで乗切るために<短編物語>読むだけで税や会計の 生きた知識が不思議に身に付く
上のものほど新しい記事となっています。
<短編物語>第9話 資金城 盛衰記 第1話
ご案内
<冬の時代を笑いで乗切るために>で物語を連載しています。
現在第8話まで完結しました。これまでの題名・主人公・テーマをリストにしてみました。さかのぼって次の<冬の時代を笑いで乗切るために>画面で読むことができます。
<題 名> <主人公> <テーマ>
第8話 いとをかしM&A 単野社長・正井税理士 経営者保証 譲渡所得税 債務免除益 所得税法64条2項
第7話 サスペンデッドセンテンス 泰彦 キャッシュサイクル 輸入・ 輸出消費税 課税選択 贈与 税の非課税特例 外貨預金
第6話 フラッシュバック アキラと徳井 資金、相続税、譲渡所得税
第5話 切り拓く明日 勇と陽一 起業 剰余価値 創業補助金第4話 まだ間に合う えみちゃん・犬のケン 会社清算 欠損金 所得税
第3話 二次相続 和子、勝子、一郎 相続税 遺産分割
第2話 相続から争族へ 姉妹 vs 弟 相続税 連帯保証人
第1話 坂の下の泥沼 経理係笠間と経理部長 キャッシュフロー
<資金城 盛衰記 第一話>
主人公・資金さま(擬人化された架空の存在:泰平家具製造販売の資金城主。 イノチはないが5感+第6感は良い)
その他登場人物
・泰平社長(73歳 泰平家具店のオーナー。家具職人から始め「泰平家具製造販 売 」を経営してきた。天下泰平のおおらかな人物。一人暮らし)
・専務(社長の息子:仕事センムで遊び好き)
・見栄子:専務の妻(派手好き、酒も気ィも強い、他人の目を異常に気にする)
・地見行男(派遣の総務経理担当 前職で会社経理の経験あり。65歳)
資金城の見取図
本丸:営業循環資金の溜り場:ウリ・カイ資金が流れるところ。
固定丸:もっぱら固定費支払用資金備蓄場
金蔵出丸:次月支払資金の貯蔵場所
張出出丸:余裕資金の溜り場
奥曲輪:非常用、緊急用資金貯蔵庫
主人公・資金さまの考え方:
本丸と固定丸に資金を循環させ、余剰資金は張出出丸にためる。金蔵出丸と奥曲輪には一定額の貯蔵以上はストックしない。しかし近年は資金支出が収入額を上回り本丸は資金不足の上、固定丸も資金不足に陥っている。その結果、張出出丸の資金減少が続いている。彼は危機感を抱いている。
泰平家具製造販売のこれまで
泰平は学校を出てから同じ町にある中規模の家具製造会社に就職した。初めは営業に配属され一日あたり街の家具店への飛び込み50軒がノルマであった。小太りで色白の泰平は言葉遣いも穏やかでていねいであったため訪問先の家具店での受けは良かった。
しかし販売するだけでなく商品の製造に興味が行き、希望して工場勤務にしてもらった。経験を積み材料の仕入れ、吟味から工程を一通りできるようになり、両親の死亡で相続財産としてまとまった預金が手に入ったことを機会に、会社のある街から離れた場所で起業することを条件に円満退社し、独立した。
その時代は日本も高度成長期の最中であり住宅着工件数も右肩上がりであったため家具業界は好況であった。
しかし新しい住宅、特に集合住宅には「造り付け」家具が徐々に多くなり、その反動が家具製造業界に現われてきた。また家具量販店が大きく展開するにつれて売上高も売上総利益率も芳しくなく、結局「製造」は職人の雇用維持も困難になったこともあり、泰平は数年前に製造を停止し販売のみに集中する決断をした。更に少子化の兆しはますますその傾向を強める上に、失われた30年を経て見通しはよろしくない状態である。
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A その10(最終回)
<最終回>
シーン10 正井事務所の近所の喫茶店
平行線のそれぞれの思い
その後、正井の紹介した宅建業者によって伏見の単野邸は売却され、その資金を使ってシンプル興産(株)の銀行借入金はキレイに返済された。連帯保証もなくなり単野は自由の身になった。
残るは会社の解散決議を行い、官報公告を経て清算結了申告に向かう手続きを司法書士に依頼するだけである。登記手続は正井事務所が平素から依頼している司法書士事務所がしてくれる。
そんな或る日、少し残った会社の預金から単野の役員退職金を支払う手続きのため単野が正井の事務所にやってきた。支払われた役員退職金は単野の最終月額報酬に在職年数を乗じた金額であった。会社の業績が良い状態での退職なら功績倍率を乗じるところであるが、実際の資金在り高は功績倍率を乗じた金額には遠く及ばないため、単野の就任期間の長さに比べて、そう高くない金額に落ち着いた。
金銭的な項目が一通り終わって二人は近所の喫茶店に行き、コーヒーを注文して気分直しをした。
単野は言う「主任と副主任の二人、これからちゃんとやって行けるでしょうか。会社をバラけさせないで二人協力してやって行けたら私も後を彼らに託せたと気が落ち着くんですが、、」
まだ会社というものに単野は未練があるように見える。
正井は言う「前にもテキ屋さんの世界の話をしましたね。アノ世界は株式会社などが制度としてこの世になかったころから続いています。何故かわかりますか。」
「、、、いいえ。」
正井は続ける「人間はいつか時期が来たら仕事を離れる時が来ます。亡くなることも含めて。しかし事業は方法次第で続きます。アノ世界は次世代の一番元気のある者に継いで行かせる世界です。世襲とか血筋とかではなく力量のあるものが後を取ってゆくのです。事業を主体にして適材の人に商売の筋が繋がる仕組みです。縦ではなく横に広がるのです。シニセが血筋にこだわって一本の筋に繋ぐのより私は合理的と思っています。無理して商売が嫌いな息子に跡継ぎさせたり、養子取ったりしてもぎくしゃくが残ります。この仕事してたらそんな例いっぱい見てきました。」
単野は黙って聞いている。
「だから社長さん、ああもう社長さんではないのですね、単野さん、これで良かったんです。商売の息の根が止まったんではないですから。戦後になってから、どこもかしこも株式会社や有限会社にしました。細い通りを100mも歩いたらその間に「株式会社」7~8軒通り過ぎます。会社の形取ってるだけです。他人から資本を集める本当の意味の会社ではありません。今は銀行が貸してくれていますが、いずれ立ち行かなくなります。ドンドンそのような「会社」は無くなってゆきます。大きな変化が目の前に来ているのです。これまで通り緩い融資していたら銀行が成立たんようになります。
単野純男は正井の言うことを理解できないようであった。それだけではない。自宅を手放して銀行借入返さなければならない事態になった原因が自分にあることも自覚していないようであった。正井が何回も何回も会社の試算表、経営分析図面、決算書草案を前に利益第一、借金することは最小限に、と説明し、こんなことでは行き詰まりますョと何回諭したことか。でも銀行依存の性向は改まらなかった。
あまりにも聞く耳を持たないので「それなら銀行と心中したらよろし、そんなに会計事務所の言うことが聞けませんか!と声を大きくした時もあった。」それに対する単野の答えは「そやけど、銀行の建物の方が会計事務所より大きいですから、、そっちのハナシに乗ります、、」
それ以降、正井は理解しようとしない顧客は切り離してきた。断り、切り離すために高い請求を出したが、単野は遅れながらも支払いを続けた。裏の意味が分からないようであった。というか、眼に見えない無形のサービスが理解できないのかもしれなかった。
令和8年5月から「企業価値担保権」が創設され、技術や特許、顧客網、ブランド、蓄積データなどが企業価値として評価される時代に入ってきた。企業を経営する視野の広さが求められる時代である。
「ほな先生わたしここらで失礼させてもらいますヮ。コーヒーおおきにでした。それと先生ところの請求は、安うしてくださいね。お願いしますヮ。」
正井は返事しないで暫く黙っていた。そして腹に力を込めて低い声で伝えた。「ウチの費用が高いのはよくご存じでしょう。請求書送ります。」
どれだけの時間を使い、頭を働かせ、長年の経験から最適解を選択してきたか、、正井は自分が反応のない暗闇に遠吠えする犬になったような気がした。
<完>
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A その9
シーン9 単野社長の心の風景
正井と駅前で別れて自宅の玄関前に着いた単野は、奇妙な気持であった。普段は玄関を入っても「お帰り」という声がなくても明日の仕事の段取りに気持ちが行っていたので気にならなかったが、この日は一歩入って、ひっそりした家の中から湿り気の多い空気が身にまとわりつくのを感じた。
主任夫妻がシンプル興産(株)の業務を引継いでくれることが決まったことで得意先に迷惑をかけることなく身を引くことができる安堵感の向こう側に、この自宅を処分して会社の銀行借入金も連帯保証も、ひいては会社もなくなる日がすぐそこに来ていることに気がついた。自分が作り上げてきたものが無に帰す。むかし親が去って一人になってしまったときの不安が再び単野に取り付こうとしていた。
施設に預けられ、自信もないままで、仕事に就いた初めのころはその生い立ちから「どうせ自分なんか、、何もできはしない。」と投げやりな気持ちで「自分は人より劣っているのだから」と自分勝手な言い訳を逃げ場にして自分を慰める習慣が身に付いて行った。辛いことが起こった時には逃げ場に逃げ込んで嵐が過ぎるのをやり過ごせばよかった。自分を内側に閉じ込め心はドンドン弱くなり、目立たぬように、失敗しないようにすればよいと考える性格になってしまった。
そんな或る日、工場で仲間が誰一人手を出さない難しい仕事が来た。臆病であった反動からか「オレがやります」と一歩前に出た。今でも何がそうさせたのか彼にはわからない。自分で自分を押し込めてきたことにもう一人の自分が耐えきれなくなって殻を突き破って表に出てきたとしか思えない。あるいは誰もが手を引く「仕事」からのメッセージが単野の心を突き動かしたのかもしれない。その日以来、同僚の彼を見る眼が確実に変わった。そのころからであった、仕事に関する書籍を買いあさり終業後に毎晩毎晩勉強に励み、休日も仕事の工夫に没頭した。失敗することの恐怖心を捨てた彼は職場で認められ、やがて独立することに繋がった。
玄関に立ち尽くしたまま単野は「何でこうなってしまったのだろう」と自分に問う。紙からデータへの移行は更に速度を増し断裁の仕事は少なく、同業者間で取り合いになっている。
主任と副主任で仕事が確保できるのか。彼らが心配になって来た。自宅を売却することは避けられない。しかし借金をキレイに完済したら再建ができるのではないか。自分の役目もまだ残されている。
これまで気にしてきた自宅売却による譲渡所得税が掛かってきたら自分には支払えない。譲渡所得税は払わないで、借金が無くなった会社を畳むことなく事業を継続できはしないか、会社を継続しようにも税理士は債務免除益が4億円もの多額になると言っていた。それなら法人税の負担で立ち行かなくなる。単野は会社の状態を正井に聞こうと受話器を手に取った。
<正井税理士との電話でのやり取り>
正井はワカリヤスク話す。
・社長は会社の借入金を返すために伏見のご自宅を売られます。会社に代位 弁済という立替払いです。だから立替えたお金を会社に返してもらう権利 これを求償権と言います。会社が社長に返してくれたら、普通の自宅売却と変 わりません。譲渡の税金がかかります。しかし会社には返す余力はありませ ん。求償権は使えないのです。自宅手放したうえ立替え先から返済されない、 そんな人から譲渡所得税を取らないのが64条2項の定めです。なのでこの条文 の適用には、言わば会社が死んだも同じ状態でなければなりません。
・解散しなくても所得税法64条2項は貴社が債務超過であれば、使えます。平成 14年12月に国税庁資産税課長の通知が出ています。貴社は債務超過ですから この条項で社長の譲渡所得税はかかりません。
・反面、会社には前に申し上げましたように債務免除益が計上されます。手前 10年間の繰越欠損金だけでは債務免除益課税は逃れられません。それ以上 前の期間の欠損金を使う必要があります。事務所に寄ってその金額は調べまし た。そのためには会社を解散することと残余財産がないと見込まれることが 要件です。会社を解散・清算しないで今のままにしておくことはできますが、 そうなればシンプル興産(株)は欠損金を使えないので多額の法人税を払わな ければなりません。そんな税金を払えば社長にも退職金も出ません。
・以上が税理士としての回答です。出過ぎたことを申し上げることになります が、主任も副主任もこの会社に残って給料をもらう気はないように見えます。 自分の事業としてスタートしたいのです。会社の役目は終わったと思います ョ。この傾向は貴社だけではありません。人手が不足するこれからの流れで す。資本主義経済がどうなるか分からない今時、勤め人ではなく、みんな自分 の事業がしたいのです。現に変化を嫌う老舗から経営がおかしくなっていま す。
単野はすべてが終わったと思った。自分の居場所はもはやない。こんな時が来るとは心の隅で思ってはいたがこんなに早いとは思ってなかった。
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A その8
シーン8 新選組ゆかりの湯
主任の妻が勧める風呂屋に単野、正井とともに主任も同行した。
そこは3階建ての広壮な建物である。一階は受付カウンターであり外国人観光客も多いためか受付の若い女性は日本人発音であるが慣れた英語を話す。一階奥のロビーでは湯上り客がうまそうに生ビールを飲んだり、連れの子供はヨーグルトやソフトクリームを頬張っている。2階は料理旅館になっていて日本料理を主体に焼肉なども出す。エレベーターで3階に上がると、ゆったりした湯舟にジェット気流が流れる仕掛けになっていて露天風呂もある。
場所を変えたためか3人の会話は自然とこれから先のことに向かう。
主任が言う。「お陰様で烈代が得心してくれたので私もこれからひと頑張りできます。宜しゅうお願いします。」「こっちこそ引受けてくれて助かりましたヮ。主任に断られたらお得意先に迷惑かけることになり、これからどこに断裁頼んだら良いのや、と責められるところが、これで繋がって何よりです。こっちこそよろしくお願いしますヮ。」単野が応じる。
正井は黙ってこの先の問題点のシミュレーションをしている。一番に、まず伏見の単野の自宅を早急に(足もとをみられないように)処分しなければならない。この手配は長年親しくしている宅建業者に依頼する。
次に単野社長と銀行に行き、最近の事情をはなすとともに自宅処分に連動して借入金を繰上げ返済することを伝えなければならない。期限の利益を失う銀行側の了解が必須である。返済実行と同時に抵当権の抹消登記が必要である。
三番目に、正井は資金の流れを追ってみる。社長自宅の売却代金を2億円と仮定する。この2億円は借入している銀行にある単野の個人口座に入金され、その後資金移動され、シンプル興産(株)の口座に入金されたあと、直ちに2億円は出金され借入返済金として銀行へ収まる。
他方、会社の口座を経由しないで単野の個人口座から直接銀行に2億円を返済する流れも考えられる。どの方法でも、税務上の問題はないが途中の会計処理が異なる。単野から売却金をシンプル興産(株)に入金した場合、同社では単野からの借入金残高が2億円だけ上積みされ元の2億円が4億円になる。この4億円は貸主の単野には返済されることはない。これらは単野が債権放棄することで全額が債務免除益に計上される。
対して売却金2億円を会社経由ではなく直接に銀行に支払った場合は、会社帳簿上の銀行借入金は返済済であるから消滅し、債務免除益2億円に振り替わる。もともとあった社長借入金2億円も最後は単野が債権放棄してシンプル興産(株)の債務免除益になるから同社の債務免除益は4億円になる。銀行借入金であろうと社長からの借入金であろうと、流れ着いた債務免除益のプール額は4億に変わりはない。
正井は主任、副主任へ機械を無償供与することでの従業員退職金を損金経理する金額に加え、わずかに残った金銭でのその他従業員へのわずかな退職一時金の支払いのあと、単野への役員退職金の支払いをした結果、逆立ちしても一円も残らない状態になってからの法人の損金額を大幅に上回る債務免除益が清算所得を構成して追加納税にならないか気になった。繰越欠損金と期限切れ欠損金の金額を確認しなくてはと、いつまでも湯につかっておられないと気付いた。逆立ちしても金が出ない状態になる前に宅建業者仲介手数料、司法書士ㇸの官報公告料などの手続き料、税理士報酬などを残さなくてはならない。隣では社長と主任が日本酒の銘柄比べを話題にしてご機嫌である。
風呂屋の前で主任と別れてからJR丹波口駅へ歩く道すがら単野は「伏見のイエ幾らぐらいで売れるのですか。高く売れればよいですが譲渡所得税で売却益を持って行かれるのが嫌ですねん、、」という。正井は「まず売ることです。購入された時の取得費などを差引いた額から以前にもお話ししましたが3千万円特別控除ができます。そのあとは所得税法64条2項の特例を考えましょう。」と答えた。
自宅購入時の一件書類を探して事務所へ持参するように単野に依頼して駅前で単野と別れた正井は心の中の霧を追い払うため行きつけのバーに向かった。
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A その7
シーン7 下京区 天使突抜3丁目五条下る 主任の自宅玄関
その後、シンプル興産(株)は、銀行借入金を単野の自宅(伏見・毛利長門東町)を売却して完済したうえで会社を清算する方向に進んでいる。この先、主任が個人事業として引継いで行く話し合いを単野と主任の間で行なったが主任の奥さんが理解を示さない。そこで単野は主任の自宅を訪れて烈代という名の主任の妻と面談することにした。あらかじめ経過を聞いた正井は悪い予感がしたので気乗りがしなかったが単野のたっての願いでもあり同席する。
天使突抜は下京区の南北を貫く通りの名前である。この界隈は、昔からの住宅と小商店に加え最近増えた町家改造の宿屋が点在している静かな地域である。
「この人誰やのん?」
「会社の税理士先生や」「なにー、センセーやて!ワタシセンセー云う名の人嫌いやねん!昔センコウにいじめられた。トラウマになっているんや!、アンタ何しに来た」
単野社長の横に見慣れぬ正井がいるのを見て玄関先で烈代が正井に言う。夫である主任が説明するがイキナリあからさまな拒否反応である。
烈代が続ける「税理士もイヤヤ、、その昔アタシの父ちゃんが商売してて税理士に嫌な思いいっぱいさせられた、、税理士と聞いてそれ思い出したヮ。気分悪う~」
主任は烈代に聞く「お父さんが税理士に嫌な思いさせられたハナシはオマエから前にも聞いたが、何が気に障ったんや?」「その税理士先生は大学院で勉強して資格取らはったらしいけど、自分は大学院で高等な学問を奥深くまで勉強したと口癖のように自慢するだけでなく、お父ちゃんを無学な小商売人と見下げた言い方をして、横で聞くのも嫌やった、、(正井を指さして)この先生も大学院でムツカシイ勉強しいはったんか?学の有るのをひけらかすヒト嫌やねん、ウチ、、この人、センコウとゼイリシ両方入ってる人やろ身の毛がよだつヮ、、帰ってんか!!」
正井は正直な人だと思った。これまでの経験からこのタイプの人は却って応対しやすい。逆に心の裡(ひだ)に本心を留保しつつ自分は物陰に隠れて相手を盗み見て推し量ろうとするタイプのほうがやりにくい。このままでは話もできないので相手の理解のため正井は税理士資格の説明をする必要があると思った。
「奥さん」と口を開くとイキナリ「なんや~」烈代の顔を見ると目は逆三角に吊り上がっている。生まれ持っての烈しい気性のようである。仮に、この女性と二人きりで喫茶店にいるとしたら5分が限界だナと思いながらゆっくり穏やかな声で話す。
正井は「税理士になる入り口は大きく分けて三つあります。大学院出た人が三分の一、税務署に勤めていた人が三分の一、試験に合格した人が三分の一です。実際はもう少し細かいのですが大体はこういう区分です。私の知る限りでは大学院出た人も親切で優秀です。どの入り口から入った人も親切でキッチリしています。ただ性格のことなので個人差があります。みんながみんな税理士は奥さんが嫌な思いをされた人と同じではないと思いますよ。」
「私が嫌や思ったアノ税理士は指導教授がエライ人言うてはりました。わてらそんなこと知りませんがな、、そうですやろ?」正井は無言を続ける。銘記している諺のsilence has control power が効いてくるのを待つ。
案の定、烈代が口を開く「ワカッタ、あの先生の指導教授が悪いんや、偉そうな税理士を作ったんや、そうや、きっとそうや~ 教授いうてもアタシの嫌いな女子高の時のセンコウと同じたぐいや。納得したヮ」「言うだけ言うたら少し落ち着いたヮ。どうぞ、あがりよし、さあドウゾ、ドウゾ。」と烈代は促す。
正井の横の単野社長はまるで演劇を見るようにキョトンとしている。
玄関横の座敷に座ったら烈代がコブ茶を淹れてくれた。やけに塩気がきつい。
正井はちょうどよい頃合いだと判断し、改まって名刺を烈代に出す。名刺を見て「正井 融先生ね、四角四面でなく融通ききそうなお名前で安心しましたヮ」
烈代は言う「わての言うことを遮らないで黙って聞いてくれはったからこの税理士先生エエセンセやわあ。もしハナシ聞かんと説教しだしたらタダでは置かんかった。この町内でアタシと口喧嘩して誰一人ワテに勝った人おらんからな。」
そのあと烈代は自分の父親が商売で苦労したので旦那がサラリーマンで給料もらうのが良かったが、どうして会社を畳むのかが理解できないようであった。
「社長はんが自分で作った借金返すのに自分の家を売ったお金でその借金返すのアタリマエちゃうの。」会社潰さなイカン理由が分からないと繰り返す。
正井が説明する。「会社と社長個人は別の人です。会社は法人と言って法が作った人です。社長が自宅売って、お金作ってその金で法人の銀行借入を返したことは社長が会社に立替え払いしたことになります。立替えたのだから会社に立替えた分を返せと請求できるのが普通ですが、会社には社長からの請求を返せるお金はないのです。お金が無いから、このままではご主人のお給料も払えません。破産状態です。だから閉じて清算し、残った機械をご主人や副主任に譲って後始末して再出発するのです。」
正井は、機械は主任・副主任への現物での退職金として譲ることも話した。初めは機械なんかいらん、お金くれ、と女性らしく言い張ったが、主任が機械なかったら仕事ができない、そうなればこの歳で就職探さないかん、それは今どき難しいと言ったので、烈代は納得し、主任が個人で断裁業をしてゆくことに同意した。頭の切替が早いようで、これからも夫を支えてゆくことを明言した。
「さあーこれから酒盛りでっせ」いつの間に準備したのかテーブルにはタコ焼き、豚の角煮、湯葉、キムチラーメン、しば漬けなど、ちぐはぐな料理が並ぶ。そういえば近所にはこれらを仕出す店が何軒かあった。オーダーして取寄せておいたらしい。主任がそれを奥さんに指示していたのなら、この男、なかなか奥が深いと正井は思った。
帰りがけに烈代は単野に「社長はん、ここから堀川を西へ渡って花屋町通りから島原の大門(おおもん)越えてすぐ、輪違屋さんの筋向うに『新選組ゆかりの湯』いうエエお風呂屋さんがありまっさかい入って行かれたらよろし、先生もどうぞ。」と言ってくれた。
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A その6
前回までのあらすじ
仕事一本で生きてきたシンプル興産社長の単野純男は、老齢になり家族もない境涯であるうえ設備投資のための多額の銀行借入金返済を前にして事業意欲が急速に減退していた。そんな時、伝手でM&A仲介会社綾茂コンサルタンツの綾田茂夫から単野の会社を買いたいという横島商事(株)社長 横島貫治を紹介された。早く事業から撤退したい単野は綾田の話に乗ろうと思ったが念のため顧問税理士の正井に相談した。正井に、買手会社である横島商事に問題があるだけでなくこの話にはリスクが多いことを教えられ、単野は考えを改め始めた。とにかく相手に会って話を聞くことにした。横島は買取価格150万円を提示していたが、考えを変えた単野は1億5千万円が企業価値であると言い放つた。
シーン6 引続き シンプル興産(株)本社工場応接室
<争点は企業価値>
正井が1億5千万円の根拠を説明しようとすると横島が遮って「こんなちっぽけな会社を1億5千万円とはアキレますね、、社長も税理士先生も気ィでも狂ったんですか、、とても受け入れることはできませ~ん。借入金多いから150万円で手を打たれたら、、、どうですか。悪いことは言いませんョ、、、」
その言葉に応えないで正井は言葉を選びながら丁寧に言う「経済産業省の企業買収における行動指針」では透明性の確保が強調されています。中小企業庁からはPMIガイドラインがM&A成立後の経営や業務の統合が順調に行くために出されています。私たちが横島商事さんの決算書を求めることは国の指針に沿った要求です。M&Aで従業員が先行き困らないためにも決算内容の開示は必要でしょう。」 内心ではカボチャの売り買いではありませんョと付け足したかったが、その場を荒げるだけで効果もないから口にしなかった。政府の指針という言葉を耳にして横島と綾田ら二人の表情に緊張が走るのが見えた。
正井が説明し終わらないのにそれを遮って綾田は「先生が仰るのはPMIのことですね。それは我々も知っています。でもあれは法律ではないから守らなくても良いのですよ。」弱点を突かれたためか声が上ずっている。
正井は黙って企業価値が1億5千万円になる計算根拠のペーパーを二人に手渡した。綾田は受取ったが横島は受取らないで言った「この紙でどうせよと仰るんですか」
正井は返す「売手としては企業価値である1.5億は戴きたいということです。オカシイ値段ではありません。株式譲渡ではなく、事業譲渡や合併なら1億5千万円が対価になりますね。お申し出の150万円は無理な値段だということです。」次いで正井はトドメの二の矢を放った。「こちらとしては150万円と言われますがその根拠をお聞かせください。」
しばらく沈黙が続いた後、横島は「こんな無茶云うヒト相手にハナシできませんわ~」と言いながら席を立とうとした。過激な言葉の裏に弱点を突かれた悔しさが見える。綾茂コンサルタンツの綾田社長は「横島社長待ってくださいよ~」と押しとどめる。M&A仲介料を得るための動作であることは誰の目にも明らかであった。その姿は哀れというより滑稽であった。横島はすでに部屋を出たが、綾田は「直ぐ帰ってきますから」と言ったあと社外で二人は立ち話をしている。
<過激な言葉は負け戦の証>
15分ほどして綾田が戻ってきた。「正井先生を外して単野社長とだけでお話しを続けたい。できませんか?」単野は正井の顔を見る。正井はどうぞと言うようにゆっくりと首を縦に振った。この期に及んでアヤシゲな相手に丸め込まれるようでは単野とはこれまでだな、と内心思った。彼は応接室を出て事務室に行きコーヒーを飲んで待った。暫くして応接室から横島と綾田の二人が出てゆくのが見えた。正井は素知らぬふりでコーヒーを続ける。
「ふざけた話でした。ウルサイ税理士抜きで150万円にプラスアルファで話付けませんかと言いよりますねん。アルファとはいくらかと聞けば1本ですと。」
「1本とは1000万円かね?」正井は笑って聞く。「とんでもない。100万円です!話にならないからお帰りいただきました。」
正井は以前に学習したM&A裁判例の初歩的な事例に似ていると思った。売手の現預金と機械装置の転売を狙った事例である。
正井は単野に説明する。相手がこちらの話を2カ所で遮ったこと。この2か所こそが相手の弱点であり、そこがこちらの攻め口であると。人間は急所を衝かれたら相手に最後まで喋らせないで自己防衛のため話を遮るものであること。遮ることですでに守勢になっている相手の攻め口に対し、剣道の打突のように角度を変えながら情け容赦なく連続して打ち込むことが交渉の要点であると説明した。正井は剣道の有段者である。
改まって単野は正井に礼を言い、続けて言う。「相手が先生に失礼な言葉があったことで申し訳ないと思っています。」
「税理士していたら聞くに堪えない言葉を浴びせられるのはしばしばです。一番多いのが四角四面の融通きかんヤツ、シツコイヤツ、嫌な奴など。税法は四角四面にできていますのでこちらとしてはアタリマエのことを言っているのです(笑)。利益のためなら平気で嘘をつく半面、思うようにならない場合、特に税金が憎いのでこっちに当たって来ます。人間の本性でしょう。自分が無茶言ってることを承知してても言うのです。そして言った方は3年くらい経ってから心を病みはじめます。大体はうつ系の病です。自分の口から出した毒が自分に逆流して心を蝕み3年くらいで発症するのです。たくさん見てきましたそんな人を、、、」
次回予告
単野の自宅売却から銀行借入金一括返済と会社の解散・清算、主任と副主任への事業継承の流れが始まる。単野は自宅を売却した時に譲渡所得税がかかることで銀行への返済金が減ることを心配している。正井は所得税法64条2項(保証債務履行のための資産の譲渡の特例)が使えることを説明する。
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A その5
シーン5 シンプル興産(株)本社工場応接室
M&A相手方から会合の場所を京洛ホテルの会議室でと申し入れがあった。正井は単野にその必要はないこと。相手の指定する場所へノコノコ出かけてゆくことは言いなりになる入口であること。操業中の貴社の日常を示すことが駆け引きのうえでチカラになること、次いで単野がする質問のシナリオを示した。最後に会話をスマホで録音することを付け加えた。
正井は言う「先方は急いでいます。相手は借金でこちら以上に逼迫しています。すべて相手の逆で行きますしょう。」
「逆と言いますと、、、」
「相手の狙いは全株式を取得して銀行預金残高を引き出し最新鋭機械を持ち出すことのように見えます。このことはこれまでお話ししました。」
「逆のことをしようとすれば言い合いになりませんか、私はこれが嫌なのです。口下手だし、、」
「今日相手にお会いになるのはどんな話か確かめて単野さんの腹をきめるためですね。そうでしょ。だから言い合いはする必要はありません。質問し、先方の答えをただ聞かれたらよろしい。質問は二つだけです。
1・横島商事さんの決算書拝見させていただけますか。
2・シンプル興産の銀行借入金の返済はいつから始められる予定ですか。
1に関しては先方は応じないと思います。相手はその時、言い訳のために余分なことを口にすると思います。その余分なことをよく聞くことです。そこにヒントがあるかも。
2ですが、もし具体的な返済財源まで示されるとその裏を取る必要があります。突っ込んで聞きましょう。例えば資金提供者があるとかです。その会社名も所在地も聞き出します。架空の話かもしれませんからね。もう一つ重要なことは先方が借金は引受けましよう、と快諾する場合があります。これは併存的債務引受の意味です。併存ですから文字通り単野さん側の借入金は残ったままです。貴社は免責されません。債権者である銀行は債務者が増えるのでNOとは言いません。」
次は、相手から質問が来るでしょう。
・シンプル興産の株券は何処にありますか?と。貴社は既に定款変更して株券不発行会社になっています。ですから株券などありませんョとスマシて答えたらよろし。
・借入金はどのくらいありますか?この質問には待ってましたとばかり4億円ありますとカマシましょう。ついでにウチの最新鋭の機械ご覧になりますかと誘ってください。工場に入れば主任以下皆さんが仕事されておられる活気が見られます。これがこちらのパワーになります。しおれて下を向いていないことを示します。
最後に口にしましょう。
・M&A契約書に借入金の肩代わりすることと連帯保証を外すことを記載していただきたい。
・ご希望の150万円を当社の企業価値EVまで引き上げた金額にしていただきたい。
そこまでが社長がされることです。その後の補足説明は私が致します。
「EVと口にするからには中味を頭に入れておきたいです。」単野は、やりとりのシミュレーションで全体が見えてきたようで、やる気を出してきた。
株式時価総額+有利子借入金ー現預金=EVであるからシンプル興産にあてはめると株価はゼロで銀行借入金2億円ー5千万円=1億5千万円が企業価値EVであると説明した。
単野は「銀行借入で最新機械を購入したからEV1億5千万円には我社の新鋭機械も含まれているのですね、得心しました。」と言う。会計や税務の数字は嫌いであると言うが長年にわたり工場経営をしてきただけあって要点の把握は早い。借金まみれではあるが従業員が主任以下働いている現場に気がついてから単野の表情には活力が戻ってきたようであった。
正井はこれで良し、と思った。
シーン6 綾茂と横島が入室して話し合いが始まる。
綾茂コンサルタンツの綾田茂夫は中肉中背の敏捷な身のこなしをするが目線は一定しないで事務所内や会社内をせわしなく泳いでいる。横島商事(株)社長の横島貫治はでっぷりと腹が突き出た巨漢である。目もとは殆ど閉じられたかのような半眼であった。
挨拶と名刺交換の後、早速話が始まった。筋書き通り単野が横島に決算書を見せていただきたいと申し入れたが横島の答えがふるっていた。
「決算書~?こっちは買手です。おカネ出す方です。おカネ出す方が自社の決算書見せる必要はありませ~んね。カボチャ買う時にどんなカボチャかよく見ますが買手の財務は関係ないのではないですか。ゼニ払うのこっちですから。それより御社の株券は何処にありますか?」横島は会議室の隅の金庫を視野に入れながら尋ねる。
「ウチは前から株券不発行ですねん。」
「あそこの金庫に入っているのではないですか。それとキャッシュも金庫の中ですか。」横島はしつこく聞く。単野は黙ったままである。正井は単野の落ち着きに感心した。自分が生み出した会社にいるからこその落ち着きだと思った。相手側の提案するホテルの会議室にしないで良かったと思った。しばらく気まずい沈黙が続く。下手に口を開いたほうが揚げ足を取られるか尻尾を捕まれるかだ。
いたたまれなくなったのか腰の軽い綾田が聞く「借入金の総額を示すものがありますか?」単野は正井税理士が用意しておいた「借入金及び支払利息の内訳書」を提示した。そこには銀行借入金2億円、その他借入金2億円と掲記されていた。
綾田と横島はその金額を見て顔を見合わせる。正井は横島の横顔が見える位置に座っていたので彼の失望の表情を見逃さなかった。
丁度良いタイミングで単野が質問する。「この借入金4億円はいつから返済されるご予定ですか。」横島は当惑した表情のままである。綾田は「うーん」と会議室の天井を見上げたままである。
ここがグッドタイミングと思った正井はあらかじめ申し合わせていた脚を組み替えるサインを単野に送った。
サインを見た単野は早速「二つ申し上げたいです。一つはお申し出の買取価格150万円では応じることはできません。他ひとつは契約文書に当社借入金の肩代わりをすること、個人保証を外すことを明記していただきたい。以上です。」
横島社長が「では一体いくらをご希望ですか?」と問う。
単野「1億5千万円です。」
それを聞いた横島と綾田は顔を見合わせている。
単野が追い打ちをかける。「1億5千万円になる根拠は正井先生からご説明していただきます。」
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A その4
シーン4 正井税理士事務所 相談室
相談室は遮音してある。会話は洩れないから本音が話せる。御香宮裏門で別れたその後の単野の気持ちを聞くため、正井は単野が経営するシンプル興産(株)の過去の決算書・法人税申告書・月次の財務データ・決算重要事項のほか所得税はじめ単野所有資産の評価明細書にも目を通して単野社長が来るのを待っている。そして彼は来た。
<判断をするために必須のことは何か>
「単野社長ご足労掛けます。ノートパソコンを貴社関連のデータが入っているサーバーに繋げてこちらからお伺いすることもできますが話の成行き次第でデータを印刷してお渡ししたり、書籍や条文を横に置いて説明する必要も出てくるかもしれませんのでお越しいただきました。」
「それにしてもたくさんの本ですね。図書館できるくらいですね。ムツカシイ話は分からんので宜しゅうお願いします。」
正井は優しく言う。「その後、お気持ちは整理できました?、、」
「いいえ。先生とお宮さんの裏門でお別れしてからJR大和路線を越えて筑前台町の方まで遠回りで歩きながら自分で自分に問い続けました。しかし先生にアメリカの人が少ない州に行きたいと言ったその言葉が何度もよみがえってきて、家へ帰ってからもモンタナ州への行き方を調べたりして結局、答えは出ないままですヮ。」
「分かりました。お気持ちわかります。」正井の思う通りであったが単野をまず認める。そして核心を衝く「長年されてこられた事業をやめる決断は簡単ではないですよ。何が気持ちを決めるのに必要と思われますか。」
「、、、、、、分かりません。」
「事業の状態を示す数字を使って会社の実像を見ることです。人間は自分で自分の顔を見ることはできません。鏡は左右が逆なので鏡に映る顏は本当の顔ではないのです。しかし事業がどうなっているかは会計数字で出ます。それを分かろうとする経営者は稀です。大概は税金が幾らかかるか、だけが関心です。あなたもそうでした。決算の際に詳しく内容を分かっていただくために説明しようとしてきましたが、単野さんは聞こうともされなかったです。少しマシなかたで聞いているフリをされます。」
初歩入門程度でも知ろうとしないくせに「すみません。本当に数字がわからないので、、」と単野は言う。
「良いですよ。でも今日は聞いてくださいね。会社は傾いて復原できないところに来ています。銀行借入金2億円、あなたからの借入金も同額あります。決算書では社長借入金として銀行借入金と区別しています。このように負債が計4億です。それに比べて預金は5千万円と機械や器具などが1億円あります。税法上の特別償却をしていますから購入金額2億円から大きく下がっています。本社工場の土地・建物は社長から借りていますから会社の貸借対照表には計上されません。噛み砕いて申し上げると負債という名の敵が4億円、資産という名の味方1.5億円です。落城前ですね。」
単野は絞り出すような声で尋ねる。「どうすれば良いですか?、、、」
正井は「オット。その前にM&Aの話をどうされるかです。落城寸前の会社を150万円で手に入れたいと先方は言ってます。それも借入金の返済や銀行保証を外すことにも触れないで、とにかく急ぐから早くしたいと。先方が金融会社から追い込まれていることはすでに伝えました。どうされます?」
「今、気がつきました。とても相手にできる人たちではないです。ただ銀行保証を外せる、借金のカタもつく、役員退職金が貰えるらしいと思いこんでしまったのです、、、」
「気がつかれて良かったですね。落城の例えが良かったのかもしれません。日本の中小零細企業は落城寸前が多いです。やがて雪崩をうって倒産が始まります。」
「先生、綾茂さんがもってきた横島商事さんとの話は良くないと分かりますが、ほかに道もないからひょつとしたら銀行借金や保証が消えるなら、とのかすかな願望があります。」
<出口が見つからないと決められない>
正井は単野の表情を見、横顏も見、眼の虹彩に焦点を当てて低い声で口を開く。「社長は出口を見つけたいのですね。よくわかります。」
「そうなんです。分かっていただけますか先生。そこが見えないとどうもできません、、」
正井はこれまでも単野に会社の数字の大事さを繰り返し、繰り返し訴えてきたことを思い出した、が、そのことを表情には出さず続ける。
「工場主任の奥さんが言われた言葉に答えがありますョ。」
「エエ―ッ ホンマですか。」
「奥さんは言われましたね。会社に借金が多い、そんな借金返すのも保証背負うのも嫌や、アホクサイと。試験問題に答えが潜んでいるのと同じです。答え言います。」
「気がつきませんでした。どんな答えですか?」
「会社の借入金返し、保証も解除したら奥さんは工場主任がアトツギするのを応援する、ということですわ。」言葉の裏側を読まないと、と思うが口には出さなかった。
「たしかに。でもどうして借金返しますか?」
「伏見のご自宅、売却して銀行借入金返します。税務署の路線価も高い、取引相場も高い。居住用ですから租税特別措置法35条系の特例も使えます。これで個人保証も消えます。会社の預金5千万円であなたの役員退職金にされたらよろし。優秀な機械は工場主任と副主任に無償で呉れてやる、彼らの退職金代わりです。これで会社はガランドウになります。そこで会社を清算しましょ。あなたが会社に貸し付けたというか資金供給した累計2億円、そう貸借対照表の負債の部にある社長借入金勘定の残高ですがこれの始末もしましょ。」
「どうするのですか?」
「債権放棄するのです。」あっさりいう正井の顔をマジマジとみて単野は言う。
「そんなん殺生や、アカン、アカンでエ」
正井は聞き流しながら言う。「社長の側から言えば2億の貸付金債権があります。これを放棄することで会社には債務免除益という特別利益が2億円出ます。法人の税金が心配ですね。しかし過去の欠損金は10年分は特別利益から差引くことができます。さらに10年を超えた「期限切れ欠損金」も差引けます。長年赤字だった貴社には2億以上の欠損金があります。なので債務免除されても清算所得は出ません。無税です。」
「何か大損した気持ちです。」
「債権放棄されないで会社に対する貸付金2億残ったままでしたらその2億に相続税が掛かりますよ。民法889条で相続人には親、子、配偶者が居なくても兄弟姉妹やその子であるオイメイが相続人に繰上って相続税のターゲットになります。回収する当てもない貸付金に相続税がかけられて、、その人たちは相続税を払う資金もないじゃないですか、残酷な話ですね。嫌でしょう?!」
「もちろんです。普段の付き合いもないのに、、、絶対嫌です、避けたいです、、!」
単野は続ける。「会社清算して私はどうして生活するのですか?虎の子の機械もないし。」
<債権放棄 賃貸収入>
正井は、事業の継承は日本古来の或る世界(テキ屋)で伝わる縦のスジではなく、勢いとやる気のある若い衆に枝分かれしながら継承してきた流れを話し、言葉を繋いだ「主任と副主任は新鋭機械を使って自分の事業を始める。今の工場を彼らに賃貸するのです。」
「アッ」という音が単野から出る。
正井は問う。「どうですか、、あなたには家賃収入が入ります。二人は雨露凌ぐ場所がないと機械だけでは事業出来ませんでしょう。」
「ちょっと頭を整理させてください。綾茂コンサルタンツさんからのハナシと較べてみますわ。」
「そうされたら良いでしょう。」半ばあきらめた正井の口調にぎょっとしたように単野は続ける。「先生を信用しないのではないのですが得心行くまで、、」
「どうぞどうぞ」と正井。正井は内心で思った。結局、信用されていないのだと。ある経営者の会で「税理士騙したら税務署も騙せる!」と正井がいるところで聞こえよがしに得意げに話す業界の大物と言われる人物が思い出された。また先輩税理士の「商売人さんは器用にカオを使い分けなさる。」との言葉も思い出した。なるようになれと思い、あきれるばかりであった。
次回予告
会計数字を分かろうともしない単野はウマい話にこだわるのでM&A提案者の綾茂と横島に会ってから最終の結論を出すことになった。この準備にM&A用語であるEV(Enterprise Value)やEBITDA (Earnings before interest taxes depreciation and amotization)、EV/EBITDA倍率をはじめPPA(Purchase Price
Allocation)などを単野に解説し、買い叩く相手の正体を明らかにして単野に誤った判断をさせない準備が必要であった。
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A 第3話
シーン2 横大路シンプル興産本社工場 応接室
M&A仲介会社「綾茂コンサルタンツ」の提案書を単野から入手した正井税理士は、提案内容にある単野社長の持株買取価格が150万円と安すぎること、買い手である横島商事との取引の前に確認手続き(デユーデリジエンス:DD)がないこと、短時日に個人保証を解除すると言明していること、単野が希望する役員退職金の支払い原資も、その時期も提案書では触れていないこと、2億円の銀行借入金をどうするのかが不明であることなど重要な疑問があるため日程を繰上げて会社にやってきた。本社工場には銀行借入金を原資に手に入れた高精度な断裁・製本の最終工程を自動推進する機械が揃っている。これらは正井が走り回って中小企業経営強化税制の認定を受けたものや、産業競争力強化法の情報技術投資促進税制適合により、決算で租税特別措置法の特例を適用したものである。正井にとっては懐かしい機械類である。
正井は単刀直入に尋ねる。「社長はこの提案をどうお考えですか、肝心の役員退職金については触れられていませんね。」
「相手さんも決算があるから急ぐとかで、株式が相手さんに移ってからその件は詳細を決めましょと言われてます。」
「こんな優秀な機械を揃えて株価が150万円とはハッキリ申し上げて安すぎます。」正井は言う。
「社長の個人保証を解除する件、日程が書かれていますが、借入金の弁済はどうなるのですか?借入返済しないままで個人保証だけを外すことはできないでしょう。横島商事さんが借入金と保証を肩代わりするとも書いていませんね」正井は畳みかける。
「それも株式が移ってから銀行折衝するので心配ないと言われます。」
「株式を取得して経営の実権を握ってから、多分会社にある現預金を基にして社長退職金を支払う。これで預金は無くなりますョ。銀行借入金を返す資金余力は貴社にはありませんね。なのに保証を解除する話を銀行さんと始める、ということですか?」
「そうです。そのように言われてました。」と単野。
「そこでお聞きしますが単野社長が150万円受け取った後、横島商事さんは個人保証解除の話を銀行と始めない、借入金はそのまま、役員退職金も払わない、それどころか最新機械をどこかに転売してしまう、こんなこともあるかもしれませんよ、、、」
「ひえーっ、そうなったら私どうしましょ、、借金残って、個人保証にくくられて会社はもうない、生きてゆけません、、、」
正井は続ける。「あらかじめ買い手の横島商事の登記簿その他で調べてみました。会社の不動産にも横島社長の自宅にも仮差押えがされています。債権者は個人の金融業者と数軒の金融会社です。」インターネットの評判は良くありません。AIでは出てきませんでした。とても買収会社の借入金を肩代わりできる会社とは思えませんね。」
「仲介の綾茂コンサルタンツはどこで知り合いましたか。」
「知合いの電話連絡で来られました。ほとんど飛び込みと変わりません。」
「綾茂という名前からしてアヤシゲですね。勝手な予見はできませんが相手の狙いは会社にあるキャッシュと新鋭機械かもしれません。2億の借入金から機械買われた残りが貸借対照表の現預金の部にあります。損益計算書が示すように会社の営業利益は出ていません。2億の借金を返済する体力はないのです。そんな会社を買う?単野さん。相手の立場に身を置いて考えられたら相手の意図が分かるのではないですか」
シーン3 伏見市街を横切って御香宮へ
単野はうつむいたままであった。ここ(本社工場)では深刻な話はできない、壁に耳あり障子に目あり、ということで単野の要請で正井と歩きながら話をすることになった。道すがら単野は自分の生い立ちから話し出した。こんな時、口を挟まないで聞き役に徹することが重要であることを正井は長年の税理士人生で会得していた。
「私は家庭の事情で子供の時に施設に入っていました。その施設にはお父さんが戦死した子ォも多かったです。親が居なくても自分のことは自分でできるようにと炊事、洗濯、掃除からモノの収納など全部仕込まれました。働きに出て給料もらえるようになってから死に物狂いで働きました。家庭の臭いも何も知らないまま一人暮らしで仕事だけで生きてきました。休みの日も断裁工程の参考書で勉強しました。それが楽しかったんです。独立してからも炊事など家事はお手のもの。おカネが無いから市場の終わりがけの「見切りだよ~」の声が掛かってから捨値で魚や野菜を買うのが常でした。お米は精米で籾殻を取り除く時に割れたりして選別された小さな米(こごめ)を食べてました。小米は当時では犬のエサでした。」
「結局、そのツケで子供もないままこの歳になりました。家庭というものを知らないけれど紙と機械の間ばかりの生活の潤いのために宮川町のお茶屋でウサ晴らししたりしましたが、心の中は仕事のことでした。この歳になって跡継ぎが無いのが虚しく今の工場主任に後をやってくれへんか、と話しました。彼は分かりましたと答えてくれました。喜んでいたのも一日だけでした。主任は帰宅してから、後を継ぐ!社長が認めてくれた!と喜んで奥さんに話したらしい。奥さんは、アンタ、やめとき。会社には借金がたくさんあると言ってたんやないか、、そんな借金私は嫌やで。社長の言われる通り跡継ぐんやったらアタシこの家出てゆくヮ。ほんまやで、、慰謝料たんまり払ってや。他人のシャッキン払うのアホクサイワ、というので跡継ぎの話はチャラになりました。主任はエエ男だけれど、女の人は厄介やー」
そこまで聞いて正井にはシンプル興産(株)継続の筋道が見えてきた。
単野は言う。「横大路からいつの間にか御香宮さんが見えるところまで来てしまいましたね。先生ありがとうございました。実は私、特に趣味もないのですが新選組が好きですねん。歴史の過渡期に現われて消えていった終わり方が、、自分に重ねているのかもしれません。ここらは鳥羽伏見の戦さの時の舞台でした。御香宮さんの丘から薩摩の大山弥助(のちの大山巌元帥)が弥助砲という大砲で、この南の今は団地になっている伏見奉行所に立てこもる新選組や会津藩砲兵隊と撃ち合いになったところです。お宮さんの裏門から自宅のある毛利長門までは直ぐです。実は私は以前から散歩しながら終わり方を心の奥で考えていたように思います。今日の先生のお話よく考えます。危ないところでした。」
正井は別れ際、自分にはM&Aによらないで事業を残す道があることを単野に話した。その方法は外国渡来のM&Aではなく、日本古来からの組織の継承にヒントを得たものであった。任侠道と共に語られる神農道いわゆるテキ屋さんの継承の話である。
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A 第2話
シーン1 伏見 毛利長門東町 単野邸 応接間
シンプル興産という屋号で紙の断裁工場を経営してきた単野純男の事業は電子データ時代に入ってから紙の使用量が減少した影響で、急速に業容が悪化していた。
横大路の本社工場のほかに鳥羽と久世橋にあった第2工場と第3工場は処分したが2億円の銀行借入金は減少しない。後継者がいないこともあり単野は急速に経営意欲をなくしていた。知り合いからM&A仲介会社を紹介されたあと、会社を売ろうとの気持に傾いている。顧問の正井税理士を自宅に呼びM&Aの話をしようとしている。
「正井先生、こっちからお訪ねするのが筋なのにご足労掛けすんません。最近億劫になってしもうて。」
「いいえ構いませんよ。さすがこの辺は立派なお邸が多いですね。福島太夫町の段差を越えたら見事な景観ですね。伏見税務署の路線価が高いのも分かります。」
「この辺りは伏見城の大名屋敷があったところですので由緒のある町名が残っています。私も出版全盛期には仕事が殺到して馬車馬みたいに働きました。そのご褒美にと思ってこの家を手に入れましたが少し広すぎて、、その上、銀行の抵当がついています。社長として個人保証の書類にも実印ついています。」
「もうすぐ宮川町の京おどりが始まりますが今でも時々はあちらへ行かれますか?」
「昔はそれが活力になりました。今はとても、とても。それより先行きが見通せないので、日本を脱出したいですわ。」
「脱出されて何処へ、、、」
「あるときTVで見たのですがアメリカのモンタナ州ちゅうところは日本と同じ面積でありながら人口は80万人しかいないらしい、草原が続いてその先に地平線が見えるとか。私は、人にもこの国にも疲れました。脱出したい気分ですヮ。」
単野の身の回りの概要と心境を聞き出した正井は早速本題に切り込んだ。M&A紹介会社の出す内容を質問した。単野は自分で自分の言葉を確かめるように話す。
「こっちの希望はできるだけ早く銀行借入と個人保証から逃れたい。自宅の抵当権も抜いてほしい。長年頑張ったから退職金はできるだけたくさん欲しい。借金を肩代わりしてくれるなら会社の売値はなんぼでもよい、と言いました。
正井は聞く「会社を売ると言われますが具体的には売り物は何ですか?」
「何のことですか?」と単野。
「株式を売られるのか、会社の事業を事業譲渡として売られるのか、吸収合併されて見返りに合併した会社の株式を受取られるとかです。
「そんなムツカシイこと分かりません。わては借金無くなって退職金をもらえたらそれでよろしいんや。」
「仲介会社から説明資料が出ていませんか。それを拝見させてください。」と応じた。
株式譲渡、事業譲渡、は合併とは異なり対価のキャッシュが手に入るが、前者は単野に、後者は会社の会計に入ることの違いなどを説明しなければと思ったが提案書を読まなければマトハズレになる。
「説明資料は会社にあります。コピー取って先生の事務所に送りますわ。
正井は十分な裏付けを取る必要を感じた。場合によっては他の専門家に打診することも必要である。これまで単野社長は正井事務所への費用の支払いが渋くその上遅かった。専門家に支払う費用は安いほど良いとの考えである。今後も支払いを渋るならこの仕事は受けられないと思った。
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A 第1話
はじめに
風変わりな題名はM&A(合併&買収)において当事者は大変な思いをされておられますが、見方を変えますと「問題の松花堂弁当ないしは缶詰詰合せ」のようなところがあります。日常では現われてこない複雑な問題が混在しています。
時代が大きく変わり、事業の経営も急ピッチで新旧交代を余儀なくされます。
これからもM&A(合併、買収だけではなく会社分割、事業譲渡も含めます)を選択される件数は増加することはあっても減少することはないと思います。
時代背景
創業者社長が老齢になり、不況のもと多額の借金が残こり、後継者がいない中小企業が多くなっています。同時にM&A事例での争いになるケースも増加傾向です。共通するのはM&Aでの売手会社の、自社の売り急ぎの姿勢が禍根の原因であるケースが多いです。売り急ぎの原因は金融機関への「経営者保証」です。トラブルになる事例では、このほかに買手会社が性急に売手会社の現金や現金等価物を手にしたがることも散見されます。更にM&A仲介会社が原因の場合もあります。細かい点では株券や株主名簿の管理がよろしくない場合、いまだに名義株があるとか、この場合、法人税申告書の別表2が真実の名義でないことも多いです。特に相続があると相続税申告の問題も絡み同族間での争いも浮上してきます。関連して生前贈与で株式を受贈与した、していない、の争いも派生します。株式の株価算定を税理士に依頼しても、その株価が高い低いの争いも生じます。
更に役員退職金支給と支払時期、株式譲渡課税、事前確認(Due Diligence 単にDDと称される場合が多いです)手続きで売手会社の粉飾が発覚、会計事務所の責任問題などが連鎖的に、しかも当たり前のように生じます。
税務や会計、法律の問題の松花堂弁当ないしは缶詰詰合せと呼ばれる理由です。
お断りしておきますが内容は税務・会計・法律にわたるものですが税務と会計問題に関しては意見を記すこともありますが、法律問題は専門外であり公表されたテキストやレジュメ(判例を含みます)の叙述を忠実にそのまま素材として組み立ててお伝えするように致します。
主な登場人物
売手会社:シンプル興産株式会社 社長:単野純男:不勉強で単純な人
買手会社:横島商事株式会社 社長:横島貫治:抜け目なくヨコシマ
仲介会社:綾茂コンサルタンツ合同会社 社長:綾田茂夫:よくわからないアヤシ ゲな人物
売手会社顧問:正井 融:税理士試験5科目合格30%しかいない業界の絶滅危惧種
テキ屋のことに詳しい謎多いヒト
では次回をお楽しみに、、
<短編物語>第7話 サスペンデッドセンテンス その11(最終回)
2030年 パリの運河沿いから
その後、泰彦の奮闘もありビジネスは日本からヨーロッパ、中東、東南アジアに及ぶまでに拡大した。オフィスは以前のままのSt Michelであるが、住居をパリ郊外に定めメトロで通勤している。地道な生活である。
資金をユーロ以外にスイスフラン(CHF)にもプールしたことが幸いし、為替の変動にもかかわらずスイスフランは堅調に推移し彼のビジネス資金の貯蔵庫になってくれている。税や会計に関しては貿易業務に詳しいフランス人税理士<エクスペル コンターブレ(expert comptable)>が 複雑な付加価値税(Taux de TVA)も含めてサポートしてくれている。
円安は変わらず物価高のうえに犯罪も多く母国は急速に魅力のない後進国の様相を呈してきた。政治の不安定が続くだけではなくデータのセキュリテイが弱くハッカーの稼ぎ場になっていた。ランサムウエアからデータを守ることができずに操業が不安定になる巨大企業が続出し、ネットワークセキュリテイ強化のため「危機管理庁」が構想されても、現場に疎く実務経験がない議員や高級官僚の手では実現されないまま時間だけが経って行く。
諸外国とのセキュリテイ連絡官会議に要員を派遣していないのは先進国では日本だけという状態である(参考:小川和久著「国防も安全も穴だらけ!国民を守れない国・ニッポン」(扶桑社)54~55頁)。
日本から主要国の企業が見切りをつけて撤退してゆく。外敵に侵入されて苦汁をのまされた歴史がないため、すべては手ぬるく法整備も整わず、危機意識が希薄で、犯人の人権をも配慮するから処分は甘い。その上、日本の組織の特徴である隠ぺい体質は問題の発見を遅らせ、ハッカーやテロリストの活躍を許すだけである。
買い付けのため訪れるたび劣化してゆく母国をまのあたりにすることで辛い滞在の日々であったが、京都、今出川七本松や東京、無縁坂の仕入先は巨大企業でないが若い世代の経営者やスタッフが勢いのある活気をもたらしている。
小規模事業や店舗には自分の腕に自信を持つ気後れしない若い専門家や職人が働いている姿を見て泰彦は、旧態依然の役所やマスメデイアが報じる上辺の報道の底に捨てがたい種火が残っているのをしっかりとらえていた。
パリ下町の運河沿いのカフェでそんなことを思いながら自分はやはり日本人だナと泰彦は思った。
<完>
<短編物語>第7話 サスペンデッドセンテンス その10
流れが変わった
執行猶予(サスペンデッドセンテンス)の期間は過ぎ去り、表面をつくろって上辺の好調の底に淀んで溜まった大きなマグマが目の前に現れ始めた。この国の前例踏襲・事なかれ主義のため革命的な改革ができない病状が進んで取り返しがつかない段階に入ってきた。
インフレによって物価は倍にもなり、またたく間に預金は減ってゆく。泰彦は貿易業務の必要上、円預金口座より外貨預金口座に資金をプールしていた。更に国内外の取引先の株式も付き合いのため購入していたから円建てのたくわえが目減りしてゆく流れに巻き込まれることなく資産の実質価値を維持することができた。
国内取引だけのビジネスでは円の下落により窮迫してゆく上に、見栄から体面を気にする人々は「逃げる」ことができず行き詰まることになった。
手っ取り早く成果を上げたい、良い結果を早く手にしたい、との傾向が加工食品でファストフードを手間をかけずに調理するのと同じように、内容に乏しいモノや仕組みが溢れてきた。
街にはどこから手にいれたか筋のワカラナイお金を持った「浮かれた人たち」が行き交う。タイパ、コスパという舌ったらずの外国語が加速度的に使われるようになった。
その流れの底では確実に貧富の差、持つ者と持たざる者の差が大きく拡大し分断が止めようもなく進んで行く。
来るべきものが来た
「もうやってられん。」泰彦はパリに新しく設けたオフィスのベランダから通りを見ながらつぶやいた。日本の業者へ出した照会状への返事があまりにも遅くビジネスが進まない状態が起こっていた。「鈍くさいヮ」下品なもの言いはしない泰彦であるがテンポの遅い母国の実態を表すような返事の遅さについ本音が出てしまう。
泰彦は自分の肌感覚で感じていたとおりに世相が変ってきたことに驚きはなかった。輸入だけでビジネスを始めたが輸出ビジネスにも為替と消費税制の追い風が吹くことを学んでから両方をハンドリングできるようになっていた。
金利高が原因で同業はもちろん、他業種の中小零細企業は古く歴史のある老舗から行き詰まって倒産したり廃業してゆく。危機に気づくのが遅かったのか、不勉強なのか撤退の遅れが大方の原因であった。老舗ゆえの体面もあっただろう。
その流れに引換え、新しく起業した仲間のうち少数派は資金運用に打つ手を間違いなく打ったため勢いがついてきた。泰彦もそのグループに入っている。それ以外の多くは3年以内に行きずまって廃業した。資金の蓄積ができていなかったのと銀行借入に安易に依存したのが原因であった。国の財政と似て負債に押しつぶされた挙句の崩壊であった。
借金財政のもと短期金利の上昇が続く中、円安と円高の波が交互に繰り返される狭間で泰彦はビジネスの重心を輸入と輸出に巧みに切り替え、片方に偏らないことで利益の確保を続けてきた。中小企業に手厚い政策は名ばかりで実際はそうではないのを知っていた彼は、国の言うことの逆を行くことが正解であると肝に銘じていたので不景気に影響されないで自分のビジネスを守ることができたと思っている。
その間に、この国の、いつまでも同じ場所に居つづけ、脱皮できない、切り返しをしない、湿り気の多い粘着質の風土自体が彼の気質に合わなくなってきたと感じる日々が多くなってきた。
パリにオフィスを構えたが近々住まいもフランスに移すことを考えている。外から祖国を見ると彼が感じる坂の下へ沈んでゆくのとは、また違った面が見えるかもしれないと思った。
次回予告
次回は最終回です。
<短編物語>第7話 サスペンデッドセンテンス その9
終わりの始まり
過剰投資が続くばかりの巨大AI企業の実態が知られるとAI関連株の下落が米国株式市場で始まった。日本以上の赤字財政のドルを売ってゴールドに替える流れが呼応して明らかになって来た。そこへ利下げが行われ、ドルの通貨価値が下がるとともに円高の傾向も見え隠れしてきた。
暫くしてから日本の財政赤字が原因で長期金利が急に上昇しだした。国債追加発行で政府が資金調達することも困難な事情が明かになって以降、日本の株式市場から資金が逃げ出し、株式は右肩下がりに値下がりしていった。暴落ではないことが却って反騰が期待できない不気味な気配を醸し出した。長期金利の上昇につれて短期金利の利上げが断行され借入金を抱えた企業はたちまち月々の資金にも困ることになり世相は一気に貧乏国の実態を反映するようになってきた。
街ではひき逃げや飲酒運転での衝突事故、殺人事件が日に何件も発生し道を歩くにも油断できないほど治安が悪くなっていた。盗み、脱税、粉飾、恐喝、汚職が日常的に起こり、日本社会の劣化が証明されている。人間悪にヌルく、事なかれ主義のツケが出てきて、まじめに働くことが馬鹿らしい、との世相になっていた。人口減少が止まらず先々の不安が世の中に広がっていた。道行く人々は背を丸め下を向くか、カラ元気で反り返って阿呆のように口をだらしなく空けて上を向くかであった。
こんなある日、突然、以前の勤務先で課長であった高木が泰彦の会社を訪ねてきた。輸出の販路を切り拓くのに超多忙な泰彦であったが旧勤務先でお世話になった上司でもあり、どこか反りが合うので泰彦は時間を作ってゆったりとした雰囲気を自ら出しながら応対した。
「景気良さそうだね、、」「いいえ、まだなかなかです。日々苦闘しています。」と高木に返した泰彦は、高木から出る気配が以前と違っていることに気づいた。眼に落ち着きがないうえ視線を合わそうとしない。指先が少し震えている。緊張していることが見て取れた。
切迫した様子でありながらお天気会話しかしない高木に内心イラっとしたが、ここは辛抱、、と自分に言い聞かせ流れにまかせた。やっと高木は本題を口にした。
「キミところで俺を雇ってくれないだろうか、どんなことでもする、お願いします。」と言って彼は深々と頭を下げるのだった。聞けば泰彦も勤めていたあの会社は資金で行きずまった挙句、どうにか採算が取れていた部門を事業譲渡で売却し、抜け殻になった会社は従業員のほとんどを解雇の上、清算されたそうである。それから高木は人材紹介会社に登録して再就職先を当たったが条件を持ち出す以前に仕事がないのが実態であった。紹介会社に登録料だけ持ち逃げされた気分であった。紹介会社のマネージャーは、高木を罠にかかった獲物を見るような目で、口もとに歪んだ薄笑いを浮かべてごみを捨てるように高木に領収書を渡した。
ハローワークにも行ってみた。しかしそこには大勢の同年代の求職者が群れており仕事らしい仕事はなかった。
雇用保険の給付も終わりが近づくにつれ妻の態度は荒々しくなり、もの言いもオトコのように変わってきた。その変わり方は激しく声までオトコの声に変った。そこにいるのは中性化した人間であった。原因はおカネの欠乏である。カネが無いとオンナの本性が出る、とその昔、先輩から教えられたことを思い出した。高木は、この世での自分の居場所がないことが分かった。
「立派なご子息がお二人もおられるではないですか。司法書士をされておられるかたと電気関係の技術者でしたね。お父さんの相談相手になってくれるのではないですか、と泰彦は言ってみた。
「どちらも結婚しているのでね、、、」と高木は口ごもる。「それで、、」と泰彦が話を繋ぐと。
「長男のヨメはよくできた人だ。私が行くと下へも置かないもてなしだが30分もしたらいたたまれなくなってくる。気持ちが休まらない。次男の方の嫁さんは逆だ!露骨に嫌な顔をする。高級菓子を手土産に持って行ったときは少し顔が喜ぶが眼は冷たい。行ったら直ぐ帰りたい気になる。ヨメの友達数人が義父義母から教育資金や子育て資金の贈与をしてもらった話を聞いたらしい。オレからは何もしていないことを根に持ってるようだ!」
泰彦は税理士から<教育資金の子への贈与1500万円非課税><結婚・子育て資金の子への贈与1千万円非課税><子への住宅取得資金贈与1千万円非課税>があることを聞いたのを思い出した。税理士は「こんな制度は子供を足腰立たない根性なしにする税制です」と苦々しく言ったことも思い出した。このうち教育資金贈与非課税の方は格差が広がる害があるため令和8年税制大綱で廃止されるとも聞いた。当たり前だろう。高校へも行きたくても行けない子ォもいるのに、、と思った。
泰彦は素知らぬふりで「そうなんですか」と応じたが高木の話を聞いて、収入がなくなるとこの世に居場所がなくなることは他人事ではないと思った。
しかし高木を雇用することは収支の変動が激しいスタートアップ段階ではできないことであった。泰彦は「考えておきます。」とだけ言った。いつ頃にお返事いただけますか、と高木は聞いてきた。1週間後にさせていただきます、と言って高木との話は終わった。もちろん1週間先でもNOの答えは変わらない。それを察したかのように悄然と彼は去って行った。
<短編物語>第7話 サスペンデッドセンテンス その8
これまでのあらすじ
貿易商社に勤める泰彦は会社の経営内容が良くないことを知った。日々の生活が物価高で窮屈になってきている。将来の絵図も描けない原因を知ろうとしていた。大不況が予測される日本経済の先行きも怪しいと感じた彼は執行猶予(suspended sentence)と考えるこの時期に現状から脱出するきっかけを得るため事業家セミナーに参加した。そこで会社の上司や同僚と全く違うタイプの人々と知りあう。覚悟を固めた彼は上司があきれるのを横目に退社し、手持ち金を基に輸入業を始めた。知り合った税理士と事業のキャッシュフローをチェックしつつ、輸入商材のルーチンを軌道に乗せたが、海外取引先から日本の商品へのニーズが多いことに気がついた泰彦は輸出にも乗り出す。税理士から輸出消費税の仕組みを学んだ彼はそこに不況の原因があることに気づく。
今出川七本松~上野忍岡・湯島
国債過剰発行に由来する低金利が原因で円安が続くなか泰彦の円建て預金は目減りする一方であった。外貨預金は円安の風を受けて堅調である。
先日の税理士との試算で輸出すれば仕入れ価格に上乗せされた消費税が還付されることと、円安で為替差益分が値増しされ二重に利益を得られる構造が理解できるとともに、このことは日本の国を安売りして得られた利益であることに気がついた。
たまたまTVで、ふんぞり返って人を小馬鹿にした態度の有名な御用学者が、消費税率は10%どころか20%にしなければ財政がもたないと発言するのを聞いて、泰彦は、輸出入の実務も知らず、現場での消費税をめぐる駆け引きも消費税の支払いの苦労もしていない人物がよく言うョ、この世間知らずが、と吐き捨てるとともに不況を引き起こす本当の犯人を知った気がした。学問を衒う「衒学」という言葉はこんな人物を指すのだろう。平素は象牙の塔の中で学生というコドモを相手にし、外へ出てきたときは尊大にふるまう虚勢がカオからにじみ出ていた。
輸出巨大企業が巨額の消費税還付金を手にする一方、物価高のもと円預金が価値を失ってゆく先に起こる矛盾が更なる矛盾を生むことは容易に見通せる。ここまで国の財政が悪化したら一介の庶民である泰彦は智恵と知識を総動員して資金を運用し付加価値を得て事業の質を高めないと生存できないと思った。
海外のバイヤーが和装小物のなかでも希少品を高値で仕入れる傾向が顕著になって来たので泰彦は卸商を介さないで直接買付に切り換えることで付加価値を上げようと行動に出た。
和製小物の本場、京都に行き西陣の織元や上七軒の店舗に当たるうちに、値段の高いモノばかりを仕入れる泰彦のやりかたに売り先は注目しだした。厳しい値交渉の繰返しから西陣と上七軒の中間の七本松通りにある店が良い品ぞろえをしていることが分かった。
京都の商談が終わって世間話になった時、東京にも同じような店があると聞いた泰彦は、湯島、御徒町から浅草橋界隈まで見て回ったが彼の感性に合う店には巡り会わなかった。たまたま通りかかった無縁坂に近い場所に一軒だけ見つかった。店のご主人は江戸っ子らしいはっきりしたもの言いで、ハッキリものをいう泰彦とは波長が合うようであった。
<短編物語>第7話 サスペンデッドセンテンス その7
泰彦の海外での評判
泰彦は海外からの問合せに対して打てば響くように返答したのと、できないモノはできないとハッキリ言うようにしたのが良かったのか海外では「ヤスヒコ」は何でも曖昧にしてYes Noをハッキリしない日本人らしくないと良い評判が徐々に広がってきた。少々の困難でも当たって砕けろの姿勢で努力した。結果だけが良ければよい、努力過程は見ないし見ても無視する日本人バイヤーと違って泰彦の海外取引先は結果が思わしくなくてもそこに行くまでのプロセスをしっかり見ている。日本では馬鹿正直と言われたこともあったが、要領第一、形式だけ、ズルしようが結果だけ繕うのが日本流とすれば泰彦のビジネスは異流であり異質であった。
また輸入の支払いも期日を確実に守るので日々の取引が彼の信用形成の日々でもあった。初めは外国のアクセサリーの輸入が主力であったが、流れから日本の和風小物の輸出を求める注文が増えてきた。
数点の輸出を行った結果、ユニークな商品でしかも大量取引になじまない、言わば隙間商品であったため競合も少ないことが分かってきた。
税理士に相談する
輸出の消費税の仕組みはセミナーで友達になった税理士に費用を払って疑問点がなくなるまで頭に叩き込んだ。
税理士は言う「あなたのようなかたは珍しいです。」
泰彦は「どうしてですか?分からないことを教えていただくのですから、、」
税理士は「大きな声で言えませんが、大勢の商売人さんは、知識や知恵に価値を認めません。目の前の断片的な点のみの答えだけを得ようとする人が多いです。お礼も言わず、マシなかたで菓子折りで済ます人が多い中、きちっと相談料を十分に払いますと言われます。」
「それが当たり前ではないでしょうか?」
「いいえ泰彦さん、知識は無形のものだからか、目に見えないものなので支払うかたでも値切ったり、なかなか支払いを実行されません。しかも普通の商売人さんは目の前の困った点だけしかお聞きになりません。断片的な上辺の疑問を聞いたらそれで良いとの浅薄な態度です。喉元過ぎれば熱さを忘れるのです。
あなたはそうではなく、消費税の基礎から理解しようとされます。この姿勢は後で生きてきます。応用が効くのです。基礎基本をおろそかにするかたは同じところで止まったままで同じ失敗をされます。譲渡所得税や贈与税、相続税のような一過性の税金の場合は深い原則まで知る必要はないと思いますが、これからのビジネスに使う道具である消費税につき浅いところで終わられるのは残念でしたが、泰彦さんの姿勢は事業家として本物です。」
泰彦の姿勢に好感を持ったのか、その税理士は泰彦が疑問に思っているが口にしていない部分も気前よく教えてくれた。輸入輸出の実際の数字を基に先の予測も交えて計算を税理士がしてくれた。
その結果、「消費税の課税事業者の選択」をし、還付金が毎月入ってくる「課税期間の短縮届出」をすることになった。
その判断の根拠は、輸出する商品には日本の消費税が課税され仕入価格に含まれている。これを国内に売れば消費税部分は売値に上乗せして請求し売上金とともに回収できる。しかし海外に売る場合は日本の税金である消費税を外国の買手に請求できないので、消費税の課税はない。輸出売上の消費税率はゼロである。その結果、輸出品の仕入価格に含まれていた消費税額は、その年度の消費税申告において輸出業者に返される(還付される)のである。
次回予告
今出川七本松~上野忍岡・湯島
外国顧客からの引き合いの増加と、消費税還付の二つが引き金になり泰彦は輸入より輸出業務に専心するようになった。和装小物の仕入先開拓に乗り出す。
<短編物語>第7話 サスペンデッドセンテンス その6
泰彦退社後に会社に起こったこと
社会保険料、厚生年金保険料が上がって会社・従業員ともに負担が増加したことへの助成金の入金額が経営者のボーナスや私的流用(小遣い)に遣われていて従業員に全く反映されていないことが税務調査で分かった。上記のその事実が経理部門から社内に流れたため有能な数人の部長クラスが得意先を持って退職してゆき会社は急激な売上減少になり、粗利益も連動して右肩下がりに転じた。その結果、月次の固定費の支払いにも困る事態になったとの情報が泰彦の耳にも伝わった。
決算書には助成金は営業外収益に計上されていたが、それは会計上の表示に過ぎず資金は会社から経営者の懐に流れ出していた。
経営者からは「会社は従業員みんなのもの」との方針が示されてきたものの、これらの言葉は嘘八百であった。
泰彦はこれを聞いて他社によるM&Aの時期が近付いた気がした。そうなれば情け容赦のない組織改革が断行されることは間違いない。高木課長はどうするのだろう。泰彦は他人事であるが自分の身に置換てみて「良い時に脱出した」と自分自身を褒めたい気がした。
今後は支払利率の上昇で支払利息の金額が増加し営業利益を喰うことが常態になる。そうすると資金力がない中小企業は身売りするか、会社を閉じるしかない。
国の借金が累増し、長期金利が上がるとともに円が売られ円安で物価高になっている流れは改まる気配はない。セミナーで知り合った税理士から財政法4条で決められた国会決議の範囲内でという枠組みが5年延長で形骸化し、その都度、国会の決議を経由しない実態であるとの説明を受けてから、切迫した国の財政状態は容易に改善できないことを知った。流れは変わらない。資金以上の冒険をすれば敗者の歌を歌わなければならない。円安はこのまま続くと彼は考えた。
輸入・輸出 円安と消費税
実際に商売の引き合いには日本のアクセサリー商品を求めるものが多くなってきた。泰彦は輸入と輸出への影響を整理した。
・輸入:円安で支払いは増える(値増し)消費税もCIF価格なので上がる傾向。
・輸出:円安で売りの回収金額は値増しされる。逆に円高になれば値引きされる と同じである。
今後の円相場の先行きを見極めて買入予算を設定しないとキャッシュサイクルとは別の要因で資金がなくなる。在庫は持たない主義とは言えロット次第ではそれも避けられないから大きな損失の生じる可能性もある。
泰彦の消費税課題は納税義務の有無、課税選択、インボイス課税への対応、輸出と輸入の数字予測のもと輸出が勝る場合の還付金額の把握、それに伴って課税期間の短縮届出の要否などを整理しなくては方針や見通しが立たないことが分かってきた。日々の実務の間を縫うようにして方向の検討をする泰彦であった。
<短編物語>第7話 サスペンデッドセンテンス その5
退職と借入、キャッシュサイクル
「おまえ、そんな思い切ったことして怖くないのか?」
会社やめて貿易業を始めたいと話す泰彦に高木課長はあっ気にとられた顏で言った。
「俺なんか会社を離れたら失うものが多すぎてキミみたいなことはとてもできないョ。息子らも一人立ちしているから俺はカミさんと二人で楽しく安全に行くよ」
泰彦は「そうですね」とうなずいたが心底では別のことを思っていた。口には出さなかったが「いつまでこの会社で今の収入が続くのですか、、続かないかも、「執行猶予」がいつ終わるか、その時にさまよえる羊にならないように祈ります」と。
次に挨拶に行った鵜高女史は案外アッサリと「そう、おめでとう。がんばってね!と言った後、いろいろなアクセサリーについて詳しく教えてくれた。化粧品や身の回り品だけでなく食べ物にもお金をかけて高級品を揃えた生活をしてきたからか身銭を切ってアクセサリーを選んできた自信からか、一つ一つの説明には説得力があった。「最初は大変かもしれないけれど、落ち着いたら近況を知らせてね。」と励ましてくれた。
泰彦はこれまでの経験から、こういうシーンでは女性からはネチネチと嫌味を言われるものと思い込んでいたが、カラッとした彼女の出す空気に、人は見かけによらないものだ、と思った。それとともに質素につましく暮らすより鵜高女史のようにリッチな生活をすることが思い切りを良くするように思った。一つの生き方だと思った。
泰彦は資金の予測をしてみた。仕入れから支払いまでの日数を算出し、売上から回収までの日数を想定し、前者の支払いまでの日数をできるだけ長くしないとたちまち資金が不足することが分かった。このキャッシュサイクルの算定法はセミナーに参加していた若い税理士が彼と休憩時間に談笑していた時にメモに書いて説明してくれたものである。この算式を知らないまま開業したらたちまち破綻することを知り、ゾッとした。
仕入れの支払い日数も売りの回収日数も相手あってのことなので実際の商談で当たってみるしかない。
泰彦には貯えた預金があるが備えとして政策金融公庫の創業融資を検討した。無担保無保証人でも融資可能で10年内返済である。泰彦は約定返済で10年にわたって毎月一定額の返済をすることは貿易業では、なじまないとの思いがあった。借入したとしても数回のビジネスで勝ち取った資金を一括返済するほうが性格に合うように考えていた。毎月の元利合計の支払いが生き血を吸われるような気がしてならなかった。それと、そうしている間に借入することがアタリマエになることも嫌であった。
町の金融機関の中でも信用金庫なら約定弁済ではない貸出があるか当たってみたが開業後の決算申告もしていない場合は該当する融資商品はないことが分かった。
次回予告
借入による予備金なしで船出することになった泰彦は輸入先から日本の商品を紹介して欲しいとの要望が意外に多いことを知った。それと共に輸出した場合には消費税が還付されることをセミナー仲間の税理士から耳にする。消費税の還付サイクルを早くすればキャッシュフローが大助かりであることも分かってきた泰彦は消費税の仕組みを調べるとともに輸出業のキャッシュフローを試算することになる。
<短編物語>第7話 サスペンデッドセンテンス その4
パリ・クアラルンプール
セミナーで脱皮から挑戦への気持ちが決まった泰彦は、会社に休暇を申請し取り急ぎパリに飛ぶことにした。フライトの間は頭をカラにするつもりであったが乗客やキャビンアテンダントのアクセサリーに気持が引き寄せられることに気がついた。会社に通勤している日々には感じなかった感覚であった。テイクオフの瞬間から気分が緩められて、情緒がゆっくりと彼本来の波長に戻ってゆくのだろう。
パリでこれまで出張で使っていたモンマルトルに通じるガブリエル通りから入った路地のホテルに落ち着いた。搭乗中から気になったアクセサリーの店をいくつか覗いた。商事会社に勤める泰彦は輸入の仕事をしてきたがアクセサリー商品は扱ったことはなかった。
インコタームズに基づいて契約書作成から船積や航空便の手配やインボイス、パッキングリストの書類を整え通関業者に依頼する手順には慣れているものの、肝心の商品の目利きには自信はなかった。しかし日本では見ることがないユニークな商品には直ぐに手を出したい衝動に突き動かされることが度々あった。
それと並行して資金の見通し、通関や輸入消費税の申告など未知の問題の解消にもエネルギーを割かなければならないが、それらのことは知った人に聞くことで乗り越えられると思い、ビジネスのシミュレーションができるように素材を集めることが一番の関心事であった。
自分のすること、他人に任せることの境目をハッキリさせないと前へ進まない。ユトリロの絵で名高いサクレクール寺院裏手のコタン坂を下りながら彼は思った。
数件の仕入れ先の会社案内などを手にした泰彦は次に東洋やイスラムのアクセサリーを調べたくなりクアラルンプールに向けて飛び立った。ドバイでの長いトランジットを経て翌日の夕方にスバン空港に着いた。
空港から市内への道はアジアの臭いがして彼の好奇心を掻き立てた。早速、商材を求めて市内に繰り出した。プリントが美しいいくつかの商品に目が行ったが価格が結構高くロットも少ロットでは相手にされないことがハッキリした。ジョホールバルに寄ってシンガポール経由で帰国することも考えたがパリとクアラルンプールで得た情報を整理しビジネスの狙いを誤りなく絞ることがより重要だと思いマレーシアを後にした。
パリでは女性ものの商品に限定していたがクアラルンプールに来て扱う商材は男性用や年配者用など広がって選ぶことで販路が立体的になることに気がついた。この点がアジアに足を延ばした効果だと思った。
輸入業でやってゆけるかはキャッシュフローの扱い次第による。銀行借入や助成金についても調べなくてはならない。堅実に生活してきた彼の預金は2年間は食いつなげる金額であることも大きな力であった。
ただ余剰資金を投資して殖やすことは回り道に思えたのですっぱり諦めた。休暇を取って海外に久しぶりに出たことが泰彦に自由な空気をもたらした。息の詰まるこの国から外へ出たことで決心が更に固まったのが一番の収穫であった。
未知のことが多いがそれらを解消しつつ、海外へ自分のビジネスでリスクを背負って飛ぶ日々は、会社勤めでは得られない多くの宝物があるように感じた。
<短編物語>第7話 サスペンデッドセンテンス その3
泰彦の衝動と決心
これからも給与は増えても物価の値上がりで実質は目減りしてゆくことがハッキリしてきたうえ治安も急速に悪くなっている。TVニュースでは不可解な犯罪が多発してきた。うっかり道を歩いていても油断できない。通り魔や自動車のひき逃げを始め、警察官や教員の犯罪も多い。
「上辺はつくろっても所詮は敗戦国だな、敗戦のツケがいまころ現れてくるとは、、」泰彦は、この国の先行きに根本的な不安定さが目に付くようになってきた。
彼が海外出張した時に訪れた国々の空気と全く違う。油断も隙もないセコさが目立ってきた。目の前のソントクに抜け目なく、平気で噓をつき騙す一方、バレなければスマした顔で善人を装う。権威に弱い反面、目下には酷薄に踏みつける。これからはその程度が極限にまで行くと思うと、このまま働いてつましい暮らしをして預金だけ残してアバよ、という自分のライフストーリーを脱線させないと自分が自分でなくなると思うようになってきた。酒を飲まない泰彦は帰り道の居酒屋がいつも満員である理由が分かるようになってきた。
これでもかと割り込んでくるネット広告のように利益のためには土足で人の心に踏み込んでくるエゲツナサにも感覚がマヒしてしまいそうである。
今の会社は悪くない職場である。しかしそこに居ると時間の経過とともに自分がゾンビになってゆくのが分かってきた。
海外に行ってそこで生きてゆくことや、会社を辞めて挑戦したいとの思いを持つもう一人の自分との対話がこのところ続いている。
そして一番コワイことは何も挑戦する対象を見つけられず死んでゆくことである。今の毎日を過ごしていても何も始まらない、変わらない、だから行動を起こすための準備を始めた。
1,自分の預金を見直し今後給与がなくても何年生きてゆけるか。
2,円預金している資金を別の種類に投下して増やす道を考える。
3,商事会社での仕事の知識や経験を最大限生かせる道を探す。
どうせ時期が来たら死ぬのであるからこの際、思い切ったことをしたい、そこへ自分を投げ込みたいと思った。腹をくくると怖さが消えていた。
まずはアメリカとフランスに行き自分の手持ちの資金を運用することを試すために事業家セミナーに参加した。講師の説明の後、グループに分かれて話し合うバズセッションというものがあり、一定時間が経過すると話合った内容をグループ代表が会場の全体に報告する。質問もうける。次にグループがシャツフルされメンバーが変ってゆく。会社のメンバーだけで過ごしてきた泰彦にとってはこのセミナーは目を覚まさせるに十分なものであった。
そこで気がついたことは彼と同じ年齢や更に年下の人たちが、現状から脱出したいとの切実な思いを持っていることであった。
泰彦は新しい世界の入口にいる自分に気づいた。この一歩が何かに繋がること、繋げたいと思った。