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木村栄昌

冬の時代を笑いで乗切るために<短編物語>読むだけで税や会計の生きた知識が不思議に身に付く

<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A その8

シーン8 新選組ゆかりの湯

 主任の妻が勧める風呂屋に単野、正井とともに主任も同行した。
そこは3階建ての広壮な建物である。一階は受付カウンターであり外国人観光客も多いためか受付の若い女性は日本人発音であるが慣れた英語を話す。一階奥のロビーでは湯上り客がうまそうに生ビールを飲んだり、連れの子供はヨーグルトやソフトクリームを頬張っている。2階は料理旅館になっていて日本料理を主体に焼肉なども出す。エレベーターで3階に上がると、ゆったりした湯舟にジェット気流が流れる仕掛けになっていて露天風呂もある。

 場所を変えたためか3人の会話は自然とこれから先のことに向かう。

主任が言う。「お陰様で烈代が得心してくれたので私もこれからひと頑張りできます。宜しゅうお願いします。」「こっちこそ引受けてくれて助かりましたヮ。主任に断られたらお得意先に迷惑かけることになり、これからどこに断裁頼んだら良いのや、と責められるところが、これで繋がって何よりです。こっちこそよろしくお願いしますヮ。」単野が応じる。

 正井は黙ってこの先の問題点のシミュレーションをしている。一番に、まず伏見の単野の自宅を早急に(足もとをみられないように)処分しなければならない。この手配は長年親しくしている宅建業者に依頼する。

 次に単野社長と銀行に行き、最近の事情をはなすとともに自宅処分に連動して借入金を繰上げ返済することを伝えなければならない。期限の利益を失う銀行側の了解が必須である。返済実行と同時に抵当権の抹消登記が必要である。

 三番目に、正井は資金の流れを追ってみる。社長自宅の売却代金を2億円と仮定する。この2億円は借入している銀行にある単野の個人口座に入金され、その後資金移動され、シンプル興産(株)の口座に入金されたあと、直ちに2億円は出金され借入返済金として銀行へ収まる。

他方、会社の口座を経由しないで単野の個人口座から直接銀行に2億円を返済する流れも考えられる。どの方法でも、税務上の問題はないが途中の会計処理が異なる。単野から売却金をシンプル興産(株)に入金した場合、同社では単野からの借入金残高が2億円だけ上積みされ元の2億円が4億円になる。この4億円は貸主の単野には返済されることはない。これらは単野が債権放棄することで全額が債務免除益に計上される。

対して売却金2億円を会社経由ではなく直接に銀行に支払った場合は、会社帳簿上の銀行借入金は返済済であるから消滅し、債務免除益2億円に振り替わる。もともとあった社長借入金2億円も最後は単野が債権放棄してシンプル興産(株)の債務免除益になるから同社の債務免除益は4億円になる。銀行借入金であろうと社長からの借入金であろうと、流れ着いた債務免除益のプール額は4億に変わりはない。

正井は主任、副主任へ機械を無償供与することでの従業員退職金を損金経理する金額に加え、わずかに残った金銭でのその他従業員へのわずかな退職一時金の支払いのあと、単野への役員退職金の支払いをした結果、逆立ちしても一円も残らない状態になってからの法人の損金額を大幅に上回る債務免除益が清算所得を構成して追加納税にならないか気になった。繰越欠損金と期限切れ欠損金の金額を確認しなくてはと、いつまでも湯につかっておられないと気付いた。逆立ちしても金が出ない状態になる前に宅建業者仲介手数料、司法書士ㇸの官報公告料などの手続き料、税理士報酬などを残さなくてはならない。隣では社長と主任が日本酒の銘柄比べを話題にしてご機嫌である。

風呂屋の前で主任と別れてからJR丹波口駅へ歩く道すがら単野は「伏見のイエ幾らぐらいで売れるのですか。高く売れればよいですが譲渡所得税で売却益を持って行かれるのが嫌ですねん、、」という。正井は「まず売ることです。購入された時の取得費などを差引いた額から以前にもお話ししましたが3千万円特別控除ができます。そのあとは所得税法64条2項の特例を考えましょう。」と答えた。
 

自宅購入時の一件書類を探して事務所へ持参するように単野に依頼して駅前で単野と別れた正井は心の中の霧を追い払うため行きつけのバーに向かった。