冬の時代を笑いで乗切るために<短編物語>読むだけで税や会計の 生きた知識が不思議に身に付く
<短編物語>第8話 いとをかし・・M&A その6
前回までのあらすじ
仕事一本で生きてきたシンプル興産社長の単野純男は、老齢になり家族もない境涯であるうえ設備投資のための多額の銀行借入金返済を前にして事業意欲が急速に減退していた。そんな時、伝手でM&A仲介会社綾茂コンサルタンツの綾田から単野の会社を買いたいという横島商事(株)社長 横島貫治を紹介された。早く事業から撤退したい単野は綾田の話に乗ろうと思ったが念のため顧問税理士の正井に相談した。正井に、買手会社である横島商事に問題があるだけでなくこの話にはリスクが多いことを教えられ、単野は考えを改め始めた。とにかく相手に会って話を聞くことにした。横島は買取価格150万円を提示していたが、考えを変えた単野は1億5千万円が企業価値であると言い放つた。
シーン6 引続き シンプル興産(株)本社工場応接室
<争点は企業価値>
正井が1億5千万円の根拠を説明しようとすると横島が遮って「こんなちっぽけな会社を1億5千万円とはアキレますね、、社長も税理士先生も気ィでも狂ったんですか、、とても受け入れることはできませ~ん。借入金多いから150万円で手を打たれたら、、、どうですか。悪いことは言いませんョ、、、」
その言葉に応えないで正井は言葉を選びながら丁寧に言う「経済産業省の企業買収における行動指針」では透明性の確保が強調されています。中小企業庁からはPMIガイドラインがM&A成立後の経営や業務の統合が順調に行くために出されています。私たちが横島商事さんの決算書を求めることは国の指針に沿った要求です。M&Aで従業員が先行き困らないためにも決算内容の開示は必要でしょう。」 内心ではカボチャの売り買いではありませんョと付け足したかったが、その場を荒げるだけで効果もないから口にしなかった。政府の指針という言葉を耳にして横島と綾田ら二人の表情に緊張が走るのが見えた。
正井が説明し終わらないのにそれを遮って綾田は「先生が仰るのはPMIのことですね。それは我々も知っています。でもあれは法律ではないから守らなくても良いのですよ。」弱点を突かれたためか声が上ずっている。
正井は黙って企業価値が1億5千万円になる計算根拠のペーパーを二人に手渡した。綾田は受取ったが横島は受取らないで言った「この紙でどうせよと仰るんですか」
正井は返す「売手としては企業価値である1.5億は戴きたいということです。オカシイ値段ではありません。株式譲渡ではなく、事業譲渡や合併なら1億5千万円が対価になりますね。お申し出の150万円は無理な値段だということです。」次いで正井はトドメの二の矢を放った。「こちらとしては150万円と言われますがその根拠をお聞かせください。」
しばらく沈黙が続いた後、横島は「こんな無茶云うヒト相手にハナシできませんわ~」と言いながら席を立とうとした。過激な言葉の裏に弱点を突かれた悔しさが見える。綾茂コンサルタンツの綾田社長は「横島社長待ってくださいよ~」と押しとどめる。M&A仲介料を得るための動作であることは誰の目にも明らかであった。その姿は哀れというより滑稽であった。横島はすでに部屋を出たが、綾田は「直ぐ帰ってきますから」と言ったあと社外で二人は立ち話をしている。
<過激な言葉は負け戦の証>
15分ほどして綾田が戻ってきた。「正井先生を外して単野社長とだけでお話しを続けたい。できませんか?」単野は正井の顔を見る。正井はどうぞと言うようにゆっくりと首を縦に振った。この期に及んでアヤシゲな相手に丸め込まれるようでは単野とはこれまでだな、と内心思った。彼は応接室を出て事務室に行きコーヒーを飲んで待った。暫くして応接室から横島と綾田の二人が出てゆくのが見えた。正井は素知らぬふりでコーヒーを続ける。
「ふざけた話でした。ウルサイ税理士抜きで150万円にプラスアルファで話付けませんかと言いよりますねん。アルファとはいくらかと聞けば1本ですと。」
「1本とは1000万円かね?」正井は笑って聞く。「とんでもない。100万円です!話にならないからお帰りいただきました。」
正井は以前に学習したM&A裁判例の初歩的な事例に似ていると思った。売手の現預金と機械装置の転売を狙った事例である。
正井は単野に説明する。相手がこちらの話を2カ所で遮ったこと。この2か所こそが相手の弱点であり、そこがこちらの攻め口であると。人間は急所を衝かれたら相手に最後まで喋らせないで自己防衛のため話を遮るものであること。遮ることですでに守勢になっている相手の攻め口に対し、剣道の打突のように角度を変えながら情け容赦なく連続して打ち込むことが交渉の要点であると説明した。正井は剣道の有段者である。
改まって単野は正井に礼を言い、続けて言う。「相手が先生に失礼な言葉があったことで申し訳ないと思っています。」
「税理士していたら聞くに堪えない言葉を浴びせられるのはしばしばです。一番多いのが四角四面の融通きかんヤツ、シツコイヤツ、嫌な奴など。税法は四角四面にできていますのでこちらとしてはアタリマエのことを言っているのです(笑)。利益のためなら平気で嘘をつく半面、思うようにならない場合、特に税金が憎いのでこっちに当たって来ます。人間の本性でしょう。自分が無茶言ってることを承知してても言うのです。そして言った方は3年くらい経ってから心を病みはじめます。大体はうつ系の病です。自分の口から出した毒が自分に逆流して心を蝕み3年くらいで発症するのです。たくさん見てきましたそんな人を、、、」
次回予告
単野の自宅売却から銀行借入金一括返済と会社の解散・清算、主任と副主任への事業継承の流れが始まる。単野は自宅を売却した時に譲渡所得税がかかることで銀行への返済金が減ることを心配している。正井は所得税法64条2項(保証債務履行のための資産の譲渡の特例)が使えることを説明する。